Substackの一本目は「自己紹介」だけではなく「テーマの実演」で書く
書き手の九割が間違える、初投稿の中身の決め方
Substackを始めた人が最初に書くのは、ほぼ例外なく自己紹介の記事だ。これ自体は間違っていない。Substackの公式ガイダンスも、最初の記事には「自分は誰か」「なぜこのSubstackを始めるのか」「読者は何を期待できるか」を書くことを推奨している。だから、一本目に自己紹介を書くこと自体は、正しいスタートだ。
※ここで言っているのは、Substackの記事(ニュースレター)の一本目のこと
問題は、自己紹介の中身を書き手の九割が間違えているということだ。そして、ここを間違えた一本目は、その後の半年、書き手のSubstackの伸びを構造的に縛り続ける。
何が起きているか、順番に説明する。
多くの初心者が書いている「読まれない自己紹介」の典型構造
多くの初心者が書く一本目はこういう形をしている。
「はじめまして、◯◯と申します。長年◯◯の仕事をしてきました。これからこのSubstackでは、◯◯について書いていきます。週に一回更新する予定です。どうぞよろしくお願いします」
書き手の経歴、Substackを始めた動機、テーマの宣言、更新頻度の予告、丁寧な挨拶。要素としては揃っている。Substackが推奨している項目も、形式上はすべて入っている。
それでも、この一本目は読まれない。読まれないだけならまだいい。問題は、たまたまこの一本目を読んでくれた人が、購読まで進まないことだ。
なぜ「形式が正しい自己紹介」が機能しないのか
なぜか。読み手は、自己紹介を読みに来ているのではないからだ。
自分のことを誰も知らない状態で、テーマの宣言と更新頻度の予告を読まされても、読み手の頭の中には何も残らない。
「で、結局この人は何を書ける人なのか」
「この人のニュースレターを購読すると、自分の何が変わるのか」
という、購読判断に必要な情報が、自己紹介記事のどこにも書かれていない。経歴は書かれている。動機も書かれている。だが、それは「この人の人生の説明」であって、「この人の文章の価値の説明」ではない。
読み手は購読を判断するとき、書き手の経歴を見ているのではなく、書き手の文章を見ている。書き手がどんな文章を書ける人なのかは、自己紹介で語るものではなく、文章そのもので証明するしかない。この当たり前の事実が、一本目を書く瞬間に抜け落ちる。緊張するからだろうし、「最初だから挨拶しなければ」という発想が先に立つからでもある。
一本目の自己紹介を機能させる方法
ここから本題に入る。一本目の自己紹介を、機能する形に書き直す方法だ。
一本目の自己紹介は、テーマの宣言ではなく、テーマの実演として書く。
宣言とは、「これからAIについて書きます」「これから子育てについて書きます」と告知する形のことだ。実演とは、AIについて、あるいは子育てについて、すでに書いてしまう形のことだ。この違いが決定的に大きい。
宣言型と実演型、読み手の判断はどこで分かれるか
宣言型の自己紹介は、まだ存在しない未来のコンテンツを読み手に想像させる作業を強いる。読み手は、書き手のテーマを聞かされても、その書き手が実際にどんな深さで、どんな視点で、どんな文体で書く人なのかわからない。だから判断できない。判断できないものに対して、人はメールアドレスを差し出さない。
実演型の自己紹介は違う。一本目の記事そのものが、すでに書き手の文章の見本になっている。読み手は、その一本を読み終わった瞬間に、この人の他の記事も読みたいかどうかを判断できる。なぜなら、判断材料がすでに目の前にあるからだ。経歴を読まなくても、書き手の力量は文章から伝わる。視点の鋭さも、文体の温度感も、論理の組み方も、ぜんぶ一本の中に入っている。
実演型の一本目に、自己紹介を「溶かす」構成のつくり方
実演型の一本目には、自己紹介の要素を入れないわけではない。入れる。ただし、構成が逆になる。
宣言型は「自己紹介→テーマの宣言→更新頻度の予告」という順番で、自己紹介を骨格にして、テーマを枝葉として配置する。
実演型はその逆で、テーマに対する実際の論考や視点を骨格にして、自己紹介を文脈の中に溶かす。「私は十年Webメディアを観察してきた」と書く代わりに、十年観察してきた人間にしか書けない視点を、記事の中で実際に展開する。
読み手は、書き手が十年観察してきたことを、自己紹介として読まされるのではなく、論考の中身として体験する。この方が圧倒的に印象に残る。
実演型の一本目が、書き手自身に与える効果
実演型の一本目は、書き手にとっても自分自身を再定義する作業になる。「自分は何を書ける人間なのか」を、抽象的な肩書きやキーワードで自己紹介するのではなく、実際の一本の論考を書ききることで証明する。この作業を経た書き手は、二本目以降の方向性も自然に定まる。一本目で実演したテーマと視点が、そのまま書き手のSubstackの軸になる。
逆に、宣言型の一本目を書いてしまうと、最初から離脱が起きる。読者は中身の無いメールに耐えられないのだ。また、その後しばらく書き手の軸が定まらないというケースもよく見る。一本目で何も実演していないから、二本目を書こうとしたときに「結局自分は何を書くんだっけ」と迷う。三本目、四本目と書き進めても、毎回テーマが揺れる。読み手から見ても、書き手の輪郭がぼやけたままで、購読の判断基準が見えない。一本目の選択ミスが、書き手のSubstackの初期半年に重い負荷をかけ続ける。
実演型を実行するとき、書き手が落ちる「完璧主義の罠」
実演型で一本目を書くとき、もう一つ意識すべきことがある。完璧を目指さないことだ。
実演型は、書き手にとってハードルが高く感じる。「ちゃんとした論考を一本目から書かなければ」というプレッシャーがかかる。だがここで完璧を目指すと、一本目をいつまで経っても公開できなくなる。Substackの強みは、書き続けながら軸を磨いていけることだ。一本目は、書き手のいま現在の視点で、いま現在の文体で、いま現在書ける範囲で、テーマを実演すればいい。半年後にもっといい一本目が書けるかもしれないが、それを待っていたら半年間Substackは始まらない。
一本目の記事で、何を残し、何を直したいか
私自身も、自分のSubstackの一本目を振り返ると、いま読めば直したい箇所がいくつもある。だが、それでよかったと思っている。一本目を出したからこそ、二本目、三本目と書き進められた。そして、書き進めるうちに、自分が書くべきテーマの輪郭が、自分自身でもくっきり見えてくる感覚があった。一本目の役割は、完璧な代表作を作ることではなく、自分のSubstackの軸を立てることにある。
これからSubstackを始める人、あるいはすでに始めたが伸び悩んでいる人に、私から伝えたいのはここだ。一本目の自己紹介を、宣言ではなく実演として書き直す。経歴の説明より、視点の証明を優先する。完璧より、軸の確立を優先する。これだけで、その後の半年の景色が変わる。
Substackは長く書き続ける場所だ。だからこそ、最初の一本で軸を立てる作業を、軽く扱わない方がいい。





完全に一本目迷子だったんですが、こちらの記事を読んでやっと書けました。
「自己紹介を溶かす」という視点に良いヒントをいただきました。ありがとうございました!
ホントそう思います。一本目で経歴や更新頻度だけを書いても、読者は購読後の変化を想像しにくいですよね。視点を記事の中で見せることが、いちばんの自己紹介になりますね。納得です。