「そのままでいいよ」はポジショントーク。SNSの甘い言葉に流される人が、何も変わらない理由
何も変えなければ、結果は変わらない。結果だけを問われる体育会にいた私が、優しい言葉が量産される構造と、ちょっとだけやった人が抜けていく現実を書いた。
「無理しなくていいよ。」
「あなたらしくいればいいよ。」
「そのままでいいよ。」
「何も変わる必要はないよ。」
SNSを開けば、この種の言葉が毎日タイムラインに流れてくる。溶けるように甘くて、優しくて、たくさんのいいねが集まっている。しかも発信しているのは、あなたよりも、成功している人、うまくいっている人だ。だから信じてしまう。あの人が言うなら、私はこのままでいいのだと。
冷静になって考えてほしい。
何も変えなければ、答えは変わらない。結果も変わらない。
これは絶対普遍の法則である。この当たり前の常識を忘れさせるほどの力が、SNSにはある。
なぜ成功者は「そのままでいい」と言うのか
ここに矛盾がある。成功している人が「変わらなくていい」と言う。本人は変わり続けたから成功したはずだ。挑戦し、失敗し、修正し、また挑戦した。その積み重ねの上に今がある。なのにフォロワーには現状維持を勧める。
答えは単純で、それがポジショントークだからだ。
優しい言葉はエンゲージメントを生む。「今のままでいい」と言われて嫌な気分になる人はいない。いいねが集まり、シェアされ、フォロワーが増える。つまり「そのままでいいよ」は、受け手のための助言ではなく、発信者のための商品である。
しかもこの商品は、原価がゼロだ。具体的なノウハウを発信するなら、検証が要る。実践が要る。外したときの責任も伴う。だが「あなたらしくいればいい」は誰にでも言えて、誰も傷つけず、そして誰の役にも立たない。役に立たないのに、数字だけは取れる。アルゴリズムが評価するのは滞在時間と反応であって、その言葉が受け手の人生を前に進めたかどうかではないからだ。
甘い言葉を受け取った側に残るものは何か。安心感だ。そして安心感は、行動を止める。昨日と同じ自分で今日を過ごし、明日も同じ自分で過ごす。1年後、発信者のフォロワーは増え、受け手の現実は1ミリも動いていない。この非対称こそが、甘い言葉の正体である。
体育会の本当の定義とは何か。理不尽に耐えることではない
私は体育会で育った。大学まで柔道をやってきた人間だ。だから、どうすれば結果が出るのかという一点については、かなりシビアに向き合ってきた。体育会とは、そこを理解する場所なのだ。
体育会を知らない人が抱くイメージは、だいたい決まっている。理不尽。殴られる。上下関係が厳しい。そういう環境に耐え抜くことが体育会の強さだと思っている人が多い。
違う。それは体育会ではなく、”体育会系”だ。
本当に上を目指してやっている人たちを、私は身近で見てきた。オリンピックや世界選手権に出ていってしまうレベルのアスリートたちだ。私自身は日の丸をつける水準には届かなかったが、届いた人間が周りに何人もいた。彼らが何をしてきたかを、隣で見てきた。だから言える。体育会で得られる真のスキルとは、理不尽への耐性ではない。(それも持っているが…)
第一に、最短最効率だと信じた一点に全ベットできる胆力。第二に、その賭けが外れても、間違っていても、もう一度ゼロから立ち上がる力。第三に、これ以上の練習は体を壊してマイナスになるという恐怖を抱えながら、ギリギリのラインまで粘る判断力。そして、辛く苦しい練習を何とか楽しもうとする工夫。常に最高の結果を目指して努力を続けながら、必死に楽しもうとしている。あの姿を、耐えているだけと見るのは間違いだ。
バカじゃできない。一般人には無い緻密な計算の上の努力だが、最後には、
「どうせこんな努力をしたところで、結果につながるとは限らない。わかってるよ。それでもやってやるよ、馬鹿野郎」
このノリが体育会だ。私はこれが大好物である。
ただスポーツをやっていました、上下関係が厳しい環境にいました、という経歴を体育会と呼ぶのは私の感覚では違和感しかない。誰でも自分の意思で入れる環境でやっている人たちを、体育会とは呼ばない。要は、強化部かどうかだ。選ばれた人間が、結果だけを問われる場所に身を置いていたかどうか。定義の線はそこにある。
光通信は体育会なのか?
会社が体育会系と評されることもよくある。よく話題に上がるのが光通信だ。
断言するが、あれは体育会ではない。絶対に、ない。
ロン毛で、テカテカのスーツを着ることが許される体育会があるなら見てみたい。私は実際、中のこともよく知っている。1ミリも体育会に似ているところはなかった。
SNSで炎上するように、声がでかく、ノリがたいノリが存在しているのは事実だと思う。それ自体を否定するつもりは全くない。というより、結果に対して報酬で応える光通信という会社は比較的私好みではある。ただ、あれを体育会と呼ぶのは、現実の体育会の空気を知らない人の言葉だ。似ているようでまったくの別物である。
全員が体育会のように動く必要はない
ここまで読んで、では体育会のように生きろと言うのか、と身構えた人もいると思う。
その必要は全くない。
理由は簡単で、ほとんどの人は”何もやらない”からだ。真面目そうに見えるあの人も、頑張ってる風のあの人も、実はたいしてやっていない。あなたの想像の10倍くらい、世の中の人は怠け者なのだ。
甘い言葉に流されて、結局何もしない。昨日までの自分と同じ自分で毎日を過ごしていく。その結果、何も変わらない。それが大多数だ。
一方で、少しでも自分の理想に近づいている人は、必ず何かを変えている。それが努力と呼べるものかどうかはわからない。本人は努力だと思っていないことも多い。工夫だったりする。純粋に楽しんでいるだけだったりもする。ただ、昨日までとは違う自分になろうとしている。この一点だけは、例外なく共通している。
求められているのは日の丸レベルの努力ではない。昨日との差分だ。それも、ほんのわずかな差分でいい。周りが動かないのだから、わずかな差分が、そのまま大きな差になる。
数をこなせば勝てた時代は、2013年に終わった
もう1点、約20年Webマーケティングを専門としてきた立場から伝えておきたいことがある。
2007年から2013年頃まで、正直、何も考えなくても成功できた時代があった。ただ数をこなすだけでいい。記事を書けば読まれ、投稿すれば届いた。量が、そのまま結果になった。
その時代は終わった。
マーケティングは日々進化し、顧客も日々成長している。同じ手法は真似され、読者の目は肥え、型どおりの文章は一瞬で見抜かれる。今は、がむしゃらにやれば報われる時代ではない。最短で、最効率で、緻密な戦略を持って動く必要がある。そんなに甘くはない。
つまり、二重に甘くないのだ。「そのままでいい」は嘘であり、「とにかく動けばいい」ももう通用しない。変わること。そして、考えて変わること。この両方が要る。片方だけでは足りない。
それでも、ほとんどの人はやらない
繰り返す。ほとんどの人はやらない。
だから、ちょっとだけやった人が抜けていく。うまくいく。成功する。そういうところなのだ、勝負の実態というものは。競争率で言えば、驚くほど低い戦いである。全ベットの胆力も、日の丸も要らない。昨日と違う自分に、ほんの少しなればいい。それすら、ほとんどの人はやらないのだから。
甘い言葉は、今日もタイムラインに流れてくる。無理しなくていいよ。そのままでいいよ。あなたはそこに、いいねを押す。
指を止めて、考えてほしい。その1秒で、何が変わったのか。
私はSubstackにおいて2ヶ月で700リストをお預かりできた。やったことは、開設してから1日たりとも休まず、(多少の戦略性を持って)投稿を続けただけだ。たいした努力ではない。それでも、多くの人は「もうネタがない」などと言って数日で投稿をやめる。2ヶ月毎日投稿できる奴なんてほとんどいないのが現実なのだ。




飲み会で酒を強要するのも、先輩からのパシリで焼きそばパンを買ってくるのも、先輩からの厳しい“ご指導”に耐えるのも、それが「体育会系」なわけではありませんよね(笑)。
グサグサ刺さりました。でも、最終的にはやさしく背中を押して下さりありがとうございます😊