なぜ私はキーボードを叩かないのか
私は記事を書くとき、キーボードをほとんど叩かない。理由は単純で、遅いからだ。
頭の中には伝えたいことがイメージのまま存在している。それを指先で一文字ずつ画面に移す作業は、思考の速度に対してあまりに遅い。話せば数分で終わる内容を、打鍵で再現しようとすると30分〜1時間(いやそれ以上の可能性も)と余計に時間がかかる。しかもその30分〜1時間のあいだに、最初にあった熱量は少しずつ冷めていく。書き終える頃には、言いたかったことの輪郭が丸くなり、ボリュームまで落ちていく。
だから私のテキストコンテンツは、Substackのニュースレターも、ブログの記事も、SNSの投稿も、原則としてすべて音声入力で作っている。
AIアプリに向かって喋る、AIに編集させる、確認して投稿する。
もちろんこの記事も同じ手順で生まれている。今日はその作り方を、工程の順番どおりにお伝えしていきます。
ネタは探さない。日常の音声メモに溜まっている
私は、「何を書けばいいかわからない」「すぐにネタ切れになります」といった相談を本当によく受ける。しかし私自身はネタ切れという状態をほとんど経験したことがない。理由は工程の一番手前にある。
私は日常の中で「これは伝えたい」と感じた瞬間に、スマートフォンのメモ機能へ音声で吹き込んでいる。タクシーの移動中も、電車や飛行機を待つ時間も、バスタブの中でも、思いついたその場でスマホに向かって喋る。文章の体裁は整えない。かなり雑なメモが多いがそれで構わない。それが数十本、数百本と溜まっていく。
外出先で声を出してメモを取るのは恥ずかしい、という話もよく聞く。しかし今のスマートフォンのマイクは本当に優秀で、周りにまったく聞こえないほど小さな声で話しても十分に拾ってくれる。
つまり書く段階になってから「今日は何を書こうか」と机に向かうことがない。机に向かう時点(実際はほとんどの場合、机に向かわず、スマートフォンのみで完結するが)で、伝えたいことのリストがすでに手元にある。ネタ切れが起きないのは発想力があるからではなく、日常の違和感や発見をその場で捕まえる習慣を、音声メモという最も摩擦の少ない手段で回しているからだ。
※ここで言う音声メモと言うのは、音声のまま残しているものではなく、音声を使ってテキスト入力したメモということです
書く価値があるのは、大きなテーマではなく現場の小さなポイントである
そのメモの中身は、大きなテーマではない。誰かの発信を見て引っかかったこと、お客様や取引先から出た質問、自分でツールを使っていて気づいたこと。一本一本は小さい。しかし私が価値を置いているのは、まさにこの小さなもののほうである。
誰でも思いつく話には、誰もが向かう。「AIで業務を効率化しよう」「発信は継続が大事」。こういう大きなテーマは、聞いた瞬間に「まあ、そういうことだろうな」と誰もが思う。そして誰もが思うからこそ、誰もがそこに向かってコンテンツを作る。似た記事が並び、どれを読んでも同じことが書いてあり、読者はもう見飽きている。
一方で、仕事の現場には小さなポイントが無数に転がっている。お客様が実際につまずいた場所。ツールを使い込んで初めて気づいた挙動。取引先が何気なく口にした一言。これらは一つ一つが小さすぎて、書き手自身が「こんなことは書くほどのことではない」と見過ごしてしまう。だから意外なほど拾われていない。検索しても出てこない。それを拾ってコンテンツにすることは、非常に価値がある。読者があとで「そこが知りたかった」と言うのは、決まってこの部分だからだ。
大きなテーマは検索すれば誰でも書ける。小さなポイントは、その場にいた人間にしか残せない。そして小さなポイントは、その場で記録しなければ数時間で消える。音声メモが手軽であることの本当の意味はここにある。私が吹き込んでいるのは、後者である。
数千字から数万字を、AIアプリに向けてまず全部喋る
実際にコンテンツを作る段階では、そのメモの一本を選び、内容を頭から最後まで音声入力で一気に話す。
ここで大事なのは、途中で整えようとしないことだ。話が前後しても、同じことを二度言っても、脱線しても止まらない。伝えたいことを全部、言葉として吐き出しきる。結果として原稿は数千字になり、ときには数万字に達する。ふつうに書いていたら丸一日かかる分量が、喋るだけなら数分で生み出せる。
この段階の文章は、そのままでは読めたものではない。口語で、句読点もいい加減で、話題があちこちに飛ぶ。おそらく誤変換だらけだろう。
※音声入力していると、読み取りに失敗したり、漢字の誤変換などが多発するが、私はほとんどそれを直さない。最近のAIが優秀で私の意図を見事に汲み取り、その誤変換を修正してくれるだけの力を持っている。
しかしそこには生々しい私の意見と、私の体験と、私の温度が全部入っている。ここが後工程の土台になる。
キーボードで書くと、人はどうしても書きながら整えてしまう。一文を打っては読み返し、言い過ぎだと思えば削り、角が立つと思えば丸める。整えるたびに主張は少しずつ薄まり、書き終えたときには当たり障りのない文章になっている。音声にはその余地がない。喋っている最中に推敲はできないから、思ったことが思った強さのまま出る。荒いが、この荒さこそが原稿の価値だ。整えるのはあとからいくらでもできる。だが薄まった主張をあとから濃くすることはできない。
AIの仕事は「編集」である
吐き出した音声原稿を、私はAIに渡す。私の場合は”現時点では”Claudeだ。頼むのは執筆ではなく編集で、指示の中身はおおむね次のとおりだ。
口語で話した内容を、読者が読みやすい文章に整えること。話の順番が前後している箇所を論理の流れに沿って並べ直すこと。私が数字や事実に触れた部分について一次情報を確認し、必要なら加筆すること。参照先があるならリンクを挿入すること。
これは新聞社や出版社で編集者がやっている仕事そのものだ。著者が書いた原稿の意図を変えず、読者に届く形へ磨く。事実関係を確認する。足りない情報を補う。AIはこの役割を、人間の編集者よりはるかに速く、24時間いつでもやってくれる。
逆に言えば、AIに「このテーマで記事を書いて」とは私は言わない。内容を生み出すのは著者である私の仕事であって、AIの仕事ではない。この線引きが、この記事で一番伝えたいことにつながる。
編集の裏でサムネイルを作り、15分で公開まで持っていく
AIが編集している数分のあいだ、私は待たない。並行してサムネイルを作る。画像生成には”現時点では”ChatGPTを使い、投稿先に合わせたサイズで出す。Substackなら16対9だ。
編集が終わった原稿を私が読み、意図とずれている箇所や、私ならこう言わないという表現を直す。好みの表現に修正する。ここは著者としての最終確認であって、AIの文章を自分らしく見せるための作業ではない。元がすべて私の言葉なので、直す量は多くない。
この確認で私が見ているのは、主に二つだ。私が強く言い切った箇所を、AIが気を利かせて和らげていないか。そして私が話していない一般論を、AIが親切心で足していないか。この二つが起きていれば戻す。文章としての読みやすさはAIに任せて構わないが、主張の強度と内容の出どころだけは、著者である私が最後まで握っておく。
そして仕上がった本文とサムネイルをセットで投稿する。この流れが噛み合うと、数千字のコンテンツが着手から公開まで15分程度で終わる。数万字の原稿であっても早ければ30分以内で終わるだろう。はっきり言ってキーボードで書いていた頃とは比較にならない。
音声メモで素材を溜める、一気に喋る、AIが編集する、その裏でサムネイルを作る、確認して投稿する。工程はこれだけだ。特別なツールも、特別な才能もいらない。
そしてこの工程は、長い記事だけのものではない。SNSの短い投稿でも、ブログでも、やることは変わらない。喋る量が数百字か数万字かの違いだけで、著者が私で編集者がAIという構造は同じだ。媒体ごとに別の作り方を覚える必要がないから、発信の本数が増えても疲弊しない。書けない日がなくなるのではなく、書くという行為そのものが「喋る」に置き換わっているのだ。
AIに書かせて自分が直す人が、なぜ伝わらないのか
ここからが本題である。
いま世の中で最も多いAIコンテンツの作り方は、私と逆だ。AIにテーマを渡して記事を書かせ、出てきた文章を自分で手直しして「自分のコンテンツっぽく」仕上げる。私はこのやり方を間違いだと思っている。伝わらないコンテンツになるからだ。
理由は構造にある。AIに書かせた時点で、その文章の著者はAIになる。そしてAIは、放っておけば一般論に寄る。安全設計が強く効いていて、誰も傷つけない表現を選ぶ。読者を広く想定するから、最大公約数的なことばかり言う。「使い方次第です」「バランスが大切です」「まずは試してみましょう」。どれも間違ってはいないが、誰の意見でもない。
「誰も傷つけないが、誰にも響かない文章」これはAIの十八番だ。
試しに、自分の専門分野についてAIに一本書かせてみてほしい。出てくるのは、正しくて、整っていて、そして誰が書いても同じになる文章だ。あなたが10年その仕事をやってきて感じてきた「実はこうなんだよ」という部分は、そこには一行も入っていない。入りようがない。AIはあなたの現場を知らないからだ。
その文章を人間があとから手直ししても、骨格はAIのままだ。表面の言い回しを変えたところで、著者不在という根本は変わらない。読者は意外と鋭くて、その文章に「この人はこう思っている」という芯があるかどうかを、数行で嗅ぎ分ける。芯がなければ最後まで読まれない。読まれても記憶に残らない。
私のやり方が違うのは、著者が私だからだ。私の意見は音声原稿の段階で明確に存在している。AIはそれを読みやすく整えているだけで、意見の中身には触れていない。だから仕上がった文章には、私の偏りと私の温度がそのまま残る。伝わるコンテンツとは、要するに著者の存在が消えていないコンテンツのことだ。
素材を外に取りに行った瞬間、それは自分のコンテンツではなくなる
もうひとつ、私が違和感を持っているやり方がある。答えを外に求めに行く習慣だ。
あるテーマで記事を書かなければならないとなったとき、多くの人が最初にやるのは、そのテーマを検索して、競合の記事を読んで、上位の情報をまとめて、そこから自分の記事を組み立てる。自分の経験から言葉を紡ぐのではなく、素材そのものを外に取りに行く。
これは自分の発信に自信のない人がやってしまいがちであると共に、2013年〜2018年あたりにブログアフィリエイト界隈で流行った手法でもある。
競合が何を書いているかを見に行くこと自体は否定しない。市場や相場を知るのは大事だ。しかし素材を外に求めた瞬間に、そのコンテンツは自分のものではなくなる。それはすでに世の中にある情報の再編集であって、あなたが書く必然性がどこにもない。読者から見れば、同じ内容の記事がもう10本あるうちの11本目だ。
素材は常に自分の体験と経験の中にある。実際にやってみて起きたこと。うまくいかなかったときに感じたこと。現場で聞いた一言。そこにしか、他の誰にも書けないものは存在しない。それを世に出していくのが正しいやり方だと私は思っている。私が音声メモに溜めているのも、外から仕入れた情報ではなく、日々の中で自分が感じた違和感や発見だ。だからネタ切れも起きないし、書いたものが誰かの記事と似ることもない。
著者は自分、編集者はAI(AIを著者にしてはいけない)
繰り返す。著者は自分で、編集者がAIである。この順番が正しい。AIに書かせて自分が編集するという順番は、逆だ。
音声入力で速く作れるとか、15分で公開できるとか、そういう効率の話は正直なところ副産物にすぎない。私がこの作り方を続けている本当の理由は、この順番を守っている限り、出したコンテンツの著者が私であり続けるからだ。AIがどれだけ賢くなっても、AIには私の体験がなく、私の怒りがなく、私が現場で見た景色がない。そこを差し出した時点で、書き手としての自分は要らなくなる。
これから書き始める人に伝えたいのは、まずスマホの音声メモに一言吹き込むところから始めればいい、ということだ。上手にしゃべる必要はない。今日感じた違和感を、そのままの言葉で残す。それが溜まった頃には、書くことがないという悩みは消えている。あとはそれを一気にしゃべって、AIに整えさせる。あなたが著者で、AIが編集者。順番さえ守れば、コンテンツはあなたのものであり続ける。
速さのために順番を逆にした人と、順番を守った上で速さを手に入れた人。この二者は一見同じAI活用に見えるかもしれないが、一年後にはまったく違う場所に立っているだろう。







マイクロカセットテープに録音していた頃と比べて、随分と便利になりました。
記事の内容もとても素晴らしいのですが、お写真がイケメンで、思わずスマホを落としそうになりました😊 これ音声入力しました📱